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最近、家で素振りをしている。 高校時代は毎日やっていた素振りも、社会人になってからはめっきり減った。 重たーい素振り竹刀が一本ある。軽ーい竹刀も一本ある。 この二振りを使い分けている。 重たい素振り竹刀の時に注意している事は、耳の位置まで切るという事だ。 面の打突の位置で止めてしまうと意味が無い。 手首の返しというか、剣先の落ちを意識している。 最後の10cmが「ストン!」というイメージである。 そして、一瞬の手の内の締めである。 この一瞬の手の内の締め込みが冴えた打ちを生み出す。 剣道の打突の生命線である。 肩甲骨を最大限に運動させ、大きく振る。 肘の可動を気にしながら、折りたたむような振り方にならないように気をつける。 足から剣先までの動きが連動することを体感しながら振る。 実技指導のなかでも要点である、一拍子を意識して振る。 たくさん気にしていると、だんだん手と足がばらばらになってくる。 最終的に気剣体が不一致になり、チャンバラ素振りになる。 これを矯正するために、軽い素振り竹刀を使う。 軽いので大きくのびのび振るのだが、一定の位置でしっかりと止める事を意識する。 そう、ぶれない事が最大の目的だ。 軽い竹刀は振っているうちにぶれが出てくる。 ぶれるということは、手の内の締め込みが甘いのだ。 これは、軽い木刀でやると、より効果的らしい。 大阪のI範士が言っておられたように記憶している。 素振りは額に汗が滲み出てくるくらいに振り込む事が大切であるが、 間違った方法で1000本ふっても悪い癖がつくだけである。 僕の素振りはまだまだ、初心者である。 竹刀との一体化が出来ていない。 一日50本を確実に、適正な姿勢で振ることが、当面の課題です。 PR |
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12/11(土曜日)京都府実業団剣道連盟の忘年会が行われた。
十数名の無類の剣道好きのおっさんが集まり、あーでもないこーでもないと、 剣道の話を繰り広げるのである。 今年は高段位への昇段者が数名おられ、それも手伝ってか大いに盛り上がった。 少々残念だったのは、役職者の先生方がお見えになれなかった事。 毎年、良いお話を聞かせていただいていたのだが、今年は残念だった。 その中でも、スケールの大きな話があった。 某〇〇セラに御勤めの〇山先生が最後の挨拶でこう言っていた。 「会社を退職したら、剣道を広めに世界中をまわる!」 この先生は、間違いなくやるであろう。 いや、すでに何度も海外に剣道の指導や交流でまわっておられる。 京都府の実業団剣道連盟など、はっきり言って小さな団体だ。 しかし、歴史は古い。日本開催の時の世界大会にも大きく貢献した。 その時の関係の先生で、現在も中心になって頑張って頂いている方もおられる。 〇山先生のような大きな事は出来ないが、僕も関わる人間として少しでも貢献出来ればと思う。 仕事柄、全国各地の方々と交流を持つ事が多いが、その輪をもっと繋げていきたいと思う。 僕は、この京都府実業団剣道連盟の会員の中でも若い方の部類だ(平均より)。 他にも、若武者が沢山いる。その若武者軍団が今後、この連盟を継続し進化させねば。 近畿実業団・全日本実業団などの試合にも出場していかなければならない。 今後の京都府実業団剣道連盟の発展を祈念して、毎回恒例の〇山先生の万歳三唱で閉会した。 12/12 三重県にて 伊勢警察署勤務の警察官、T先生の企画して頂いた忘年会に招待して頂いた。 いたれり、つくせり、感謝感激のコラーゲンまみれであった。 伊勢市駅にほど近い、その名も「ふぐや」。美味い、親切、リーズナブル。 ここ数年は年末に必ず行っている(他の源担当者には言えないが・・・)。 みなさん、一度行ってみて下さい。 伊勢神宮の参拝もおすすめ致します。 |
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先日の稽古は2週間ぶりに「八段」という怪物に果敢に立ち向かう稽古であった。
毎回、どうやったら打たせてもらえるのかを考えてかかる。 先日は、新作の超胴張の竹刀でW先生にお願いした。 柄の長さをミスり、短いために右腕の窮屈な構えになってしまった。 今ひとつかと思ったが、その瞬間に先生の放った鋭い甲手が鎬ですり落ちた。 「ここや!」とばかりに面を打つが浅い。竹刀の根本の方で打っていた。 しかし、この竹刀の持つ性質の一つを体感した気がする。 怪物を打てる日は近いのか。 相変わらず、相打ちの面は先を取られ、後打ちのくせに苦し紛れに自分が打ったような顔をしているだけ。 よくよく考えると、常に先生の間合で踏み切っている。 先生が打間に入ってきたのを見てから左足に「いけっ!」と信号を送っているから遅い。 一瞬の出遅れが起こる。そこが、先をかけるという事であると思う。 頭ではなく体で覚えなければ・・・。今日もかろうじて命を失わずにすんだ。 そうこうしているうちに握力が無くなり、いつもの細い竹刀に替えてみた。 柄の長さも申し分なし。急に、体中に力が漲ってきた。 その後のK先生との稽古は、打った打たれた関係なく技がどんどん出せた。 体の機嫌がすこぶる良い。 ただ、これがあかんのだ。 打ちは打ちでも、無駄打ちが多すぎる。軽い打ち、溜めの無い打ちばっかりだ! 先生は、打たれたと言って下さるが・・・。当たっただけの気がしてならない。 切れていないんだろうな・・・・・・刀なら。 そして、S先生との稽古。肉を切らせて骨を断つ。僕が切ったのは、先生の皮膚一枚。 抜けきった時には、僕の体は半分になっていた。 竹刀を振る動作が、日本刀なれば僕の頭蓋骨は綺麗にはんぶんこになっている。 ついでに昨日は、目玉も飛び出した。 先生の、振りと体さばきの一致を横から見ていると、まさに気剣体の一致である。 剣先の描く半円、体の平行移動。 教科書通りの打ち方を地稽古でこれだけ表現されると、ぐうの音も出ない。 還暦を過ぎても強くなっていく剣道。昨日も、そんな先生方の姿に今後の課題を頂戴し、 清々しく帰路につくことが出来た。 感謝感激雨霰 |
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道場に稽古に行ったら、中学校から剣道をはじめて、現在高校三年生のT君が来ていた。 T君は現在、A高校で僕の高校の大先輩であるT先生に剣道を習っている。 最近、剣道の授業で上段の構えをかじりはじめたらしい。 まだまだ、冗談の上段である(笑)。 昨日の稽古の時にお手合わせしたが、彼の上段はものになりそうだ。 手首の柔らかさを身につければ、もっと自在に竹刀が振れるはずだ。 その時は、我道場初の上段選手の誕生である。 上段の構えをされる先生で、剣道をしているものなら知らないものはいない東京のT先生。 昨日、T先生の試合や立合の映像をDVDで見た。振りのスピードが違うとか気位の強さとか、 映像からでも感じ取れるものはたくさんある。 僕がその映像を見て驚愕したのは、打突の正確性だ。 旗が上がらない時もあるが、確実に部位を捉えている。上段からの片手技で、特に甲手技。 この、正確に打突部位に刃筋正しくしかも片手で打ち込む事は至難の技である。 T先生の修行と同じようにはいくわけも無いがT君にもこんな上段をとってもらいたい。 ただ本人は、出来れば中段の構えでいたいと言うが、じゃあ何で上段を稽古しているんだろう。 私の先輩が、上段対策要員にでもしたろうと思ったのか。 いやA高校には、上段の構えを取られるS先生がおられる。滋賀県の代表として 各種大会で活躍された先生である。 S先生の影響なのか。そこが謎である。 変な対抗意識が沸き起こり、僕も上段を取ってみた。 T君との対決、面はとどかず、甲手は空振り、手首の捻挫。 挙句の果てに慣れない左甲手への攻撃に耐え切れず、降参。 最後の礼で、打たせてやったと、うそぶくのである。 今日は、八段に魂を抜かれるかもしれない。 無事に明日を迎えられたら、壮絶な稽古の内容を報告いたします。 |
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今日は少年指導の日だ。 先週は違う地域への営業で行けなかったため申し訳ない事をした。 今朝、コンビニで道場の保護者とばったり出会った。 「きょうは来てくださいよ!」「頑張ります・・。」こんな会話を交わした。 道場では、剣道再開組みの保護者が何名もいる。 この保護者もその内の一人だ。 このおっさん、おばちゃん達は子供がはじめた為に再開を余儀なくされたのだ。 そして、遠い記憶を辿って思い出しながら稽古に取り組み、試合や審査に挑んでいる。 この、記憶で剣道をするという事はひじょうに危険である。 学生時代に蝕刃の間から踏み切っていた人が、10年のブランクの後、稽古を再開して 同じ間合から飛べると思って、ぶちっとやるケースがよくある。 何度か稽古をやっていると、自分が飛べる間合がわかってくるものだが、そこは 個人差があるもんで、時間がかかる人もいれば構えたらわかる人もいる。 幸い、道場には、まだ切った人はいないが、皆さんそこそこ激しい稽古をするようになってきた ので気をつけて頂きたい。 いつまでも若いままではない、脚力の衰えや筋力の衰えを考慮して頂き、次ぎのステージである 間合の攻防や技の探求の部分に意識を持っていって頂きたい。 一緒にはじめた子供達、10年後は手も足も出せないくらいのスピードと力を身につけています。 対抗できるとしたら、潔さとウンチクぐらいです。 最近、元立ちの機会に心掛けるている事は、潔く打たれる事。 無理せずに自然体で打って出る、そこを先を取られたり後の先に返されたりしたら勉強する所。 近頃の高校生や大学生、二十代の若武者達は、遠い間合から切りかかって来る。 そんな時は、飛んで火にいる夏の虫的に捌ける。しかし、勝負の間合になった時に、 その恐ろしい身体能力を駆使して捨てきった技でこられたら・・・・たまったもんやない。 だから潔く打たれる。 その後は、「今日は打たせてやった。」と強がりを言えば良いのだ。 そこが、剣道の良いところ。上(かみ)に立つものの特権である。 |
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